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女性医師たちの歩み

趣味は妙薬

山田 日出美

私は、眼科医となってやがて50年が来る。眼科を選んだのは、父の勧めでもあったが、女性の自分には向いていると思ったからである。洋服つくりのミシンをかけながら、診療も出来るのではないかと甘い夢を見ていた。ところがである。診療は、そんなに生易しいものではなかった。インターンを終え医局に入局すれば、現在の医師不足にも勝る眼科医不足で、実によく働いた。働かざるを得なかった。入院の患者さんがベッドに寝ているのを見ると羨ましくて仕方がなかった。またその頃、関西医大に大学院が創設され教授の勧めで大学院生となり、研究と診療の日が続いた。この時の多忙な日々が今の私を形成してくれたことには間違いない。しかし、その間勉強と仕事ばかりをしていたかといえばさにあらず、学生時代は卓球に青春のエネルギーを燃やし、また中学生時代から習い始めていた謡曲のお稽古を、だらだらと続けていた。

大学院時代に縁談があり結婚した。子供が出来たので義母とお手伝いさんにお願いして病院勤務を続けていたが、二人目の子供が出来て病院勤務は全く不可能となり開業した。

開業は、勤務より自由で子供の洋服を縫って楽しくなどとまだ夢を見ていたが、これも大的外れ。開業した時は、本当に心細かった。独り立ちしてみれば大学での診療のようにバックアップしてくれる医師も設備もなく、全くの自己責任で診療をしなければならない。私の描いていた開業のイメージとは程遠いものだった。自分の診療技量の範囲内だけの患者さんばかりが来てくれるわけではない。重症患者に対して、自分の治療法で間違いはなかったか、と自問自答し翌日患者さんの眼を見るまで心配が続いた。いくらイライラしても治療効果が現れるまで何とも仕方がない。こんな時、謡曲のお稽古に出かけ、帰宅してみれば胸がすいているのに気がついた。謡曲はストーリーとメロディーの両者が組み合わされているので他の雑念の入る余地がない。一曲謡い終わってみればストーリーの余韻が頭に残り、今迄の診療に対するストレスがずいぶん薄れて気分が楽になっていた。私は、診療、家事、育児と、トラブルが起これば何時も謡曲に逃げ込み、その都度精神的に助けられた。お茶、お花、俳句、短歌、ゴルフ、読書、旅行、……趣味とつくもの全て同じ効果を発揮するであろうが、謡曲は、本一冊あればよい。私の場合手軽な謡曲が主となった。

医師会に入会と同時に会合には出来るだけ足を運んだ。今も医師会の会合には極力出席するよう努力している。そして多くのドクターと知り合った。よく聞いてみればほとんどのドクターが、何らかの趣味をもっておられることが分かった。やっぱりね。と感心した。

精神的ストレスの多い医師という職業は、何らかの趣味を持ち、逃げ場を作っておかなければ自分自身が病に罹り自滅してしまう。医師にとって趣味は決して贅沢なものではない。必需のものである。「医師のストレスの妙薬、趣味に勝るものなし」、と実感しているのである。

2009-2013 Osaka Medical Women’s Association.