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女性医師たちの歩み

母のバックアップで・・

澤井 貞子

私は、年齢も50代、医者になって26年、眼科開業して20年を越え、と、いつの間にか立派な中堅、というか中年女性医師であります。子供3人も無事成人し、やさしい主人と自分の両親と暮らし、周りからは、「あなたほど恵まれている人はいない」、と、いつも言われています。

そもそも女性医師として一生働く高い志があったわけではありませんでした。成り行きで医学部へ入学、クラブ活動で知り合った主人と4年在学中に結婚、5年で長女に恵まれました。卒試・国試をどうにか乗り切り、子供もいるし・・と、実は続けるのに楽そうだった眼科を選びました(眼科の先生方、すいません)。ところがそんな私にとっては、研修医生活は、死に物狂いの一年になりました。

当時の研修医は、みな、早く一人前になるため、ぼろぼろになるまで働くのが当たり前でした。上司・同期の先生方に迷惑をかけ、助けてもらい、なんとか研修医を終わるころには、「到底彼らにはかなわない」と実感しましたし、「早く帰りたい」と心で思っている医師では、患者さんにも申し訳ないとも思い、ひとまず大学院への進学を決めました。また、今後のことも考え、私の両親との完全同居も始めました。

その後、次女・長男を出産、さらに、少しでも自分のペースで仕事ができることを期待し、また機会もあって眼科開業へと踏み切りました。ただこれも、甘くはありません。毎日の診療は絶対休めない、のは勿論、勉強会、診診・病診連携、従業員など付随する雑務に追われ、一分たりとも無駄に過ごさない、という気持ちで、今でも過ごしています。特に子育て・教育の時期の忙しさは、どうしてやりくりしていたのか、記憶がないぐらいです。ただただ子供には、「早くしなさい」「自分でしなさい」「お母さんは忙しい」の連呼でした。

私の周りをみても、子供一人の間は、まだ仕事を続けられるが、2人目ができるあたりで、常勤医を続ける事が困難になってきます。一つは、仕事を続ける環境、保育所などが不十分ということもあります。が、大きな、そして永遠の課題は、幼い子供と一緒にいてやりたい、という思いがあります。これは、ほんの一時期なのですが、母親業が、自分のキャリアの追求より優先されてきて、結局、常勤をやめて、非常勤・パート医師になった友人も多かったです。私は、能力に男女の差があると思わないが、この点は、男性と大きな違いだと思う。この時期をどう乗り切るかが、女性医師の大きなキーポイントになるのではないでしょうか。そして、私が、キャリアを途切れさせる事なく今まで続けてこられた理由は、何より私の母が、私の不在の時間に、子供達を愛情一杯にフォローしてくれていたからです。また、今、私は地区医師会副会長・大阪府女医会理事などもしておりますが、診療後、夜に出かけることも多いです。いくら理解のある主人でも、もしも夜帰宅した時、母の手料理でなく、毎日がコンビニ弁当なら、そう理解も続かないのでは、と思っています。

人より恵まれている、と私が言われるのは、そういう母のバックアップに支えられた環境にあるからで、母には大変感謝しております。今は私達の時代より、さらに女性医師の人生選択バリエーションが広がっています。能力ある女性医師たちが、幅広く社会に貢献され、そして、満足できる人生を送られることを望んでおります。

2009-2013 Osaka Medical Women’s Association.