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女性医師たちの歩み

臨床医として

西下 房子

私は母の実家があった秋田県で生まれ、幼少時代は群馬県草津温泉の地で育ちました。浅間山を望み、ゆったりした時の流れるままの田舎の原風景の中で、野山をかけめぐり遊んでいた楽しい思い出でいっぱいです。両親は医師で国立療養所に勤務しており、兄と私の面倒は主に祖母に委ねられ甘やかされて何不自由なく育てられました。今でものんびりした性格はその頃に形成されたと思っています。

父は軍医として朝鮮半島に赴き、終戦後1年経過して復員。母は雪深い片田舎の大曲から人力車で秋田駅まで行き、夜行列車に乗って東京女子医専を受験し医師となり、二人とも大変な時代の中で愚痴もこぼさず暖かく私たち兄妹を育ててくれました。

両親が南浦和で開業し、その働く姿を見て中学から高校に進むにつれて迷いもありましたが漠然と医学部受験が決まって母の母校である東京女子医大に入学しました。大学近くの河田町に下宿し田舎者の一人暮らしが始まり、見るも聞くも驚きの連続でした。友達にも恵まれて楽しい6年間の大学生活を満喫しました。

卒後は親友の兄の友人と結婚し、夫の母校である関西医大の第2内科にお世話になりましたが娘の出産を機に夫の実家の病院に勤務することになりました。自宅が病院の斜め横にあるため詰所から丸見えで、しばしば昼夜を問わず休日も呼び出しがかかりました。

平成10年に夫がクリニックを開業し、手伝うようになり現在に至っております。二人の孫にも恵まれ、彼らに心奪われる今日この頃です。

この度、原稿の依頼を受けて改めて自分の歩んだ道を振り返ってみますと、高い志とは裏腹に医学に貢献することもなく、ただひたすらに臨床医の手伝いをしてきました。諸先輩の先生方のご努力と輝かしい業績を見聞するにつけ恥ずかしい限りです。

日々の診療の中で、世界最初の女性医師エリザベス・ブラックエル先生の「本当の医師は、女性ならば自然にもっている優しさ、思いやり、人を守る心がけを持たなければなりません。患者さんは“人”であって“個々の症例”ではないのです。そのことを忘れてはいけません」という言葉をいつも胸に刻んで患者さんと接していくつもりです。

先輩の導きで府女医会の理事の末席を汚すことになりました。至らぬ私ですが諸先生のお助けを頼りに活動に参加させていただきたいと思っています。

2009-2013 Osaka Medical Women’s Association.