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女性医師たちの歩み

尊敬と感謝の気持ちを込めて

中川 友里

日本初女医をネットで検索しますと、1884年医術開業試験に合格された荻野吟子先生の御名前がヒットしますが、女医の礎を築かれた先輩の先生方のご苦労を思うと、尊敬の念に堪えません。

私が近畿大学医学部を卒業した1983年頃は、産休や育休などという概念は殆ど存在せず、結婚、出産で常勤医を退職するのが当たり前でした。

私も、2年間の研修が終わる頃に医局を退職し、1991年に主人と開業しました。やがてクリニックも軌道に乗り、次男が中学に進学した頃から少しずつ病院勤務を増やし、現在は中川医院の夜診と、済生会茨木病院の人間ドックを週3日、担当しております。

母方の祖父母と両親は歯科医師でした。香川県の母の生家を訪れた時、着物で患者さんを診察していた祖母の姿を微かに記憶しています。父は天満橋の大阪歯科大学口腔衛生学教室に在籍する研究畑の人でしたので、いつも帰りが遅く、母が歯科医院を開業し、朝から夜遅くまで診察していたのを覚えています。

(蛇足になりますが、祖父母と両親が使っていた骨董品的な歯科機器やその写真は、次男が通学する歯学部に展示されています。)

そんな生活が一変したのが、中学2年の時でした。父が教授選に負け、大学を退職し、朝から母と一緒に診察するようになったのです。その直後、歯学部新設ラッシュが到来し、父は、いくつかの大学からオファーを受けたようですが、私が大学受験を控えていたこともあり、大阪を離れるのを躊躇い、結局、研究の世界に戻ることはありませんでした。

まだ「女のくせに~」というような言葉が日常茶飯事だった頃に、最高の教育を受けさせて貰ったこと、また、それだけが原因ではないとしても、私のために志を諦めた父、その父を傍で支え続けた母に、今更ながら感謝しております。

現在、医学部の約3割が女子学生となり、活躍の場も徐々に拡がっています。

しかし、それだけ女医の割合が増えても、やはり先輩・友人・後輩からお聞きする悩みは、家庭や子育てとの両立に苦慮されているお話が多いです。

「親の介護が大変で勤務時間を調節したい、母乳で育てたい、子供が発熱したので早退したい」等は、多くの働く女性が感じてきた悩みだと思いますが・・・まだまだ、現場の理解が十分とはいえません。無言の圧力を感じ、肩身の狭い思いをされているというお話を耳にします。また、仕事との両立を諦め、ようやく子育てを終え、活躍の場を模索されている先生も大勢おられると拝察します。

府女医会は、そのような先生方の働きやすい環境を整え、次の世代に繋げていく大きな役割を担っていると考えております。

私も、諸先生のご指導のも元、微力ながらお役に立てるよう、精進する毎日です。

今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。

2014年12月

2009-2013 Osaka Medical Women’s Association.